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お題の画の魅力。絵そのものの素晴らしさと、欠損した首の「存在感」。それはとても美しく、畏ろしいものです。
私もお話しを書かせていただきましたが、このお題画と真剣で向き合っているという感覚がありました。
集まったお話は、著者ごとに絶対的な差異があります。それはこの画には直接描かれてはいない「首」を、各著者がどう解釈したかによるものではないかと、そう感じています。
一糸纏わぬ裸体だというのに、そこに艶めかしさは存在しない。
無残に落とされた首は血の色を見せてはいるけれども、それまで生きていたのかさえあやしいような、生命を感じさせない皮膚の質感。
そんな芳賀沼さんのお題絵に、竹の子書房の諸氏が挑みました。
残酷で恐ろしく、それでいて美しい物語を、今宵あなたもお楽しみください。
永遠に失われた頭部を、あなたならどんなふうに思い描きますか?
あるべきところにあるはずのものがない。
そのような場合、人間は言いようのない不安定さを覚えるものらしい。
ましてや、そのような欠損が生じた経緯の説明もなく、ただその場に打ち捨てられている―――
そんな場合、我々は捜さずにはいられないのかも知れない。
首の在り処を。
それは何処にあり、どのような顔をしていたのかと。
無造作に首のない体を暗闇の中に打ち捨てた、芳賀沼さらのセンスは実に素晴らしい。
この不安定な美しさは、サモトラケのニケに通ずるものがある。両腕(※1)と首が失われたサモトラケのニケは、1884年からルーヴル美術館の『ダリュの階段踊り場』に展示されている。
この彫像を見るとき、その失われた首のことを考えない者はおそらく一人もいないに違いない。
さて、本書に寄稿された四作品はそれぞれに『首がない体』と向かい合っているのだが、その捉え方が実に面白い。
あるものは首の代わりを求め、
あるものは首を捜し、
あるものは首がない理由を捜し、
あるものは首を最後まで見せようともしない。
どれが読者のお好みかはわからないが、そもそも首が見つからないのだ。好きなように楽しんで頂ければ、それでよいと思う。
※1)サモトラケのニケの右腕は1950年に発見され、ルーブル美術館に保管されている。
首の在り処を。
それは何処にあり、どのような顔をしていたのかと。